メンバーnaoko です。

先日、菅谷昭先生(現、松本市長)の講演会に行ってきました。

菅谷先生は、信州大学の外科医でしたが、1990年代にその職をなげうち単身ベラルーシに渡り、チェルノブイリ原発事故による甲状腺癌の医療支援を数年間された方です。

講演ではその経験に基づいて色々な話をしてくださいました。

実は私は、菅谷先生にずっと会いたかったのです。会ってお礼を言いたかった。
なぜなら。2011年の3月だか4月だか、まだテレビの学者が皆「直ちに人体に影響はないから大丈夫」「普通に暮らしていいですよ」などと怪しさ満点のことを言ってた時期に、菅谷先生は「ベラルーシのおじいさんおばあさんお父さんお母さんは、あの時森のキノコを食べさせなければよかった、あの時外で遊ばせなければよかった、と長い間後悔して苦しんでいる。私はそんな姿をたくさん見てきた」と言って危険に対する予防原則に触れて下さったのです。
おかげで私は、後悔しないようにと最大限の防御をすることができました。
私の子どもの寿命を伸ばしてくれた、恩人です。

実際にお会いした菅谷先生。優しいお顔していました。やっぱり最後は人間性、なのです。

そして「国策で子どもたちを避難、移住させるべきだ」ということ。「除せんに過度な効果を期待するべきでない」ということ。一番大切なことを、はっきりと仰ってくださいました。

甲状腺癌については、「発症は10年後がピークであるが事故翌年から徐々に増えている。翌年から発症例があった事実がある」ので、「いま福島で出てきている小児甲状腺癌が原発由来ではないとは言えない。由来はわからないというのが正解」と。
またベラルーシでは「小児甲状腺癌(15歳未満)の6例に1例は肺転移があった」「発見した時に小さな癌でもすでにリンパ節転移がみられる場合もあった(→この場合は手術して治癒可能)」と。
ゆえに「きちんと検査をしていき治療をしていくことが大切だ」と。

(事故後にテレビに出ていた専門家たちは「子どもの甲状腺癌が増えるだけだから大丈夫、心配いらない。甲状腺癌は治るんだから」と言ってましたよね。しかもうっすら笑いながら。あまりに腹がたったのでよく覚えています。彼らの言葉には根拠がなかったと改めて思います。また、エコー検査の間隔が2年に一度では間があきすぎますね。。)

他にも。低線量を長期被曝することで25年後に今ベラルーシでおこっていること。次に原発事故がおこった時には九州でも住民自身が身を守らなければいけないこと。などのお話しがありました。(国は守ってくれませんもんね)

福島に関しては、「差別」を心配する言葉が出てきている。「子どもたちにメンタルケアをする必要がある」と。
(これに関しては深い議論が必要ですね。差別と区別は違うこと。また、子どもたちのメンタルケアをするには、まず大人たちが正直な言葉を発して、まっとうな人間性を持たなければいけない。)

「棄民」してはならない、「国難」なんだ。「福島のことを忘れないでください」と会場の人にお願いもしていました。

言葉を慎重に選びながら話す菅谷先生の姿に私が思い出したのは、水俣病の原田正純先生が仰った「権力の不均衡のなかでの中立とはなんですか?」という問いかけでした。
私たちはいま、圧倒的な権力の不均衡の中にいます。あれだけの苛酷事故がおこり、人が死んでいるのに。原子力産業の牙城は高くそびえたっている。原子力ムラの権力は圧倒的です。誰も反省していないし、これからも原子力は推進されていく。核推進の総本山IAEAも福島に乗りこんできている。
好きなように道を歩いて、好きなものを買って食べて、自分に自由があるように錯覚してしまうけど。いちばん大切な、命を大切にする自由を制限されている。今の日本はひどく権力が不均衡な状況にあります。
そんな状況で、名を知られた菅谷先生が真実を言うことにどれだけの圧力があることか。菅谷先生の勇気に感謝します。
と同時に、こういう人に頼るばかりではいけない、無名の私たちだからこそできることがたくさんあるよね。と思いました。

菅谷先生の暖かみのある笑顔。
厳しい時代だからこそ、きわだちます。
こういう人に会うことが、子育ての活力にもなる。
私もこんな笑顔ができているかな?誰かの恩人になれるかな?

菅谷先生、遠い熊本まで来ていただいて、本当にありがとうございました。


最後に菅谷先生の著作をご紹介します。
「チェルノブイリいのちの記録」「チェルノブイリ診療記」 昌文社

日本ではありえない劣悪な医療環境も興味深いのですが、異国滞在記としても面白い。-20℃にもなる厳しい気候って!とか。初めての自炊&お弁当づくりとか。(ダジャレもちりばめられている!)
ぜひ読んでみてください。