②からつづき


そして今回いちばん心に響いた内容。

「水俣病がなぜ解明できたかというと、被害者が被害者であることを自覚したから。」
「被害者自身が主人公になること」

この「被害者」という言葉は色々な意味を含んでおり、私と高岡先生の考える「被害者」の意味が同じかどうかは分かりません。
が、非常に納得のいく内容でした。
私は汚染度の高い東葛地域から避難しました。昨年3月事故当初から、自分はかなり被曝したかもしれないという自覚を持っています。が、周りには被曝の現実をみたくない、みてもその重大さを認識することができない雰囲気があったのです

そのことも含め、講演会全体を通じてはっきりと理解できたのは、
「今はまだ始まりにすぎない」ということ。
あれから一年、色々なことがあって長くたったような気がしますが、まだまだこれから、です。
歴史的な出来事に立ちあうというのは、そういう事なのでしょう。

まだ始まりとすれば、今できることをして、「被害者」とは何かを考えるのは、ゆっくりでいい。
しかしいずれは、「被害者」であることの自覚が皆に必要になるのだろう、と思います。

その時のために、水俣病について、水俣病の患者が体験した・している苦しみについて、私たちは勉強しておく必要があります。
「水俣の教訓を福島へ」花伝社。
良い本です。一読をオススメします。熊本の図書館にはわりと置いてあります。

高岡先生は、今回の事故について、被害者の痛みを充分に理解されて、言葉を選びながら話されました。これからのことも、非常な困難を痛感しつつ、お忙しい中、今できることをして下さっている。

感謝します。

追記。
この記事を書いた5月1日。
水俣病公式確認から56年目、毎年行われる犠牲者慰霊式が水俣市で開かれました。
国や環境省は、今年7月で未認定患者の申請を締め切り、来年4月までに全ての判定を終え決着する、としています。
しかし、対象地域や年齢制限があり不備を指摘されています。
ほんの一例として、「S43に排水が停止されたから、救済ラインはS44生まれまで」となっています。しかし海底の水銀を含むヘドロ処理は、S52に行われた。当然その間、海に水銀は存在しており、その間魚を食べていた人に症状は出ているのです。(今30~40歳代の人たち)

先日環境省副大臣が、「迷惑」と思わず本音を漏らしたように、国や行政は、さっさと打ちきりにしたいのでしょう。
それどころか、被害者を金を無心する者などと思っている感があります。

しかし、彼らは絶対に、根本的に間違っています。
環境汚染による症状というのは、潜伏期間も長いし、発症してからの症状持続も長いのが現実。それが、公害というものです。
何より、悪いのは、長年きちんと情報提供をしてこなかった、環境汚染にもまともな対応をしなかった、原因企業のチッソ、国、環境省です。

そして、被害者が一番望んでいるのは。
慰霊式から、いくつかの言葉を拾います。
「患者の気持ちを本当にわかってほしい。そのことが犠牲になった多くの命を無駄にしないこと」
「これから水俣病の教訓を生かしていくのが国、環境省のつぐない。なのに、生かされていない」
「なんにも変わってないもんな―」

穏やかにこれらの言葉を発した方たち。
ずしり。ときました。

以上です。